ななふしぎ

蒸し暑い季節になってきました。軽い運動をしたり、お風呂につかったりして汗をかく練習をして、少しづつ体を暑さに慣らしていきましょう。


さて私の休日の楽しみは自転車に乗って近所をお散歩することてす。


ウォーキングよりも少し遠くまで行けて、車では入っていけないような細い路地を行けるのが楽しいです。


だいたい知りつくした近所の道ですが、季節ごとに草花や木々の色、形がかわったり、今の時期は亀やシラサギと話したり、麦の金色が綺麗だったり、稲の緑が綺麗だったり


自転車でムダに走っています


そんな時パン屋さんを見つけて嬉しい気持ちになりました


なぜかというとそのパン屋さん私が小学校の頃もそこにあったからです


毎日毎日そのパン屋さんの隣の小さなビルの前に集合して、第四小学校までのドブ沿いの細い道をみんなで通いました


小さなビルは無くなっていましたが、記憶が次々と思い出されました


当時1〜6年までで30人はいたきがしますす

小3の頃、パン屋さんの隣のビルの前に集合して、ビルの階段を利用して、М君と鬼ごっこをするのが楽しくて楽しくて、はしゃいでいたのを思いだしました


朝イチから本当に全力でした


そしてその日がやってきました


6年の団長さんが「もう行くよ~」とみんなを集めていた時のこと、

足元に木の枝が落ちているのを見つけました

私はとっさに叫びました


「なんかビーちゃん出とる!」


※ビーちゃん→内臓的なもの


木の枝なのにビーちゃんが出ていたのです


周りの数人が見にきてくれましたが、あまりリアクションもなく、みんなノーコメントでした

なんかモヤモヤしたまま流されるように通学路を歩きだしました


それがナナフシであったことを知ったのは、その日から20数年あとのことです


テレビで特集をやっていて「これやー!」と立ち上がったのを覚えています

20数年のモヤモヤがパッと晴れたような気持ちでした


それ以降、今日にいたるまでナナフシにまつわる、たくさんの情報が流れ込んでくるようになりました


ナナフシは、ナナフシ目に属する葉っぱを食べる昆虫で体長数cmから15cmを超えるものまで、日本には15~20種類ほどのナナフシが生息していると言われています。

ナナフシの最大の特徴は、木の枝に擬態して外敵から身を守っているところ。強い攻撃力や素早い運動能力を持たないかわりに、細い身体を木の枝や葉っぱのように見せかけて敵をあざむいているのです


エサは主に植物の葉っぱで、サクラやコナラ・ケヤキ・バラ・クズなど。生まれたての幼虫は、この新緑の柔らかい葉を食べて育ち、成虫になるまでに5~6回の脱皮を繰り返します


擬態の名人ナナフシには翅がないので、飛んで逃げることもできません。なので枝に擬態するのですが、枝のほかにも葉っぱに擬態することがあります。「さすがにあの細い身体で葉っぱのマネは無理でしょう」と思うかもしれませんが、それが大丈夫なんです。


葉っぱの中央で動かないようにじっとすれば、ナナフシの身体が葉脈のように見えるのです。


木の枝や葉っぱそっくりに擬態するナナフシですが、もちろん敵に見破られて襲われることもあります。そんな時、ナナフシは足を自切(自分で切り落とすこと)して逃げのびようとします。他の虫ではバッタなども自切します

ナナフシが他の虫と大きく違うところは、若いナナフシの場合、自切した足がまた生えてくるのです


ナナフシの不思議はまだまだあります。ナナフシにもオスとメスがいますが、メスの方が圧倒的に数が多く99%がメスで、オスを実際にみたことある人はかなり少ないようです


そんなにオスが少ないと子孫を残すのに苦労しそうですが、ナナフシは、なんと交尾しなくてもメスだけで卵が産めちゃうのです

さらにさらにその卵まで、植物の種にそっくりという徹底ぶり

知れば知るほどに不思議なナナフシ


ほんとにふしぎ


松任谷由実という人が、やさしさに包まれたならという曲の中でこんなこと言うています

目に映る全てのことはメッセージ

なんかわかる気がします


虫と人は違います でもそれほど違ってもない気がします

同じルールのもとに生きているのだと思います。


社会のルールと自然のルールの間で、両手を広げてゆらゆらバランスをとりながらみんな生きている


頭が良いとされる人たちが寄り集まって何日も議論を積み重ねて決められる社会のルール


そこには偏りがあったり不平等があったり、大きな組織への忖度や個人的な見栄や損得があったりして、時々機能しなくなったりします。ほったらかしにされる人がでてきたりします


でも自然のルールには偏りはなく過不足はなく、みんなに平等でコップに水が入った時みたいに隅々にまでいきわたり何一つ取りこぼすことのない


上を見上げてもてっぺんは見えず、下は底抜けに深い、両サイドはいくら走っても端っこが見えず、ただ大きいとしかわからない


なんかよくわからないからそれを自然と呼んでいる


人に見えている範囲はとても小さい。あれこれ悩んでもあまり意味ない

しゃーめっちゃ得したどー!ラッキー!と思ってもあまり意味ない


ぼんやりとしているのに練り上げられた計画はきめ細やかで完璧

想像できる範囲をはるかにこえた大きな働き


ななふしは完全にそこに身を任せて生きている


私たちが子どものころそうであったみたいに


 


がんぐのマルミ

木のおもちゃ

0コメント

  • 1000 / 1000